酒井忠匡(さかいただまさ) 安政3年12月〜明治44年4月30日(1856-1911)
第8代出羽松山藩藩主(最後)・子爵。酒井家分家8代。父、酒井忠良(三男)。明治元年(1868)12月父の酒井忠良が戊辰戦争で幕府側に組みしたため強制隠居となり、家督を相続した。明治2年(1869)廃藩置県により藩知事となる。また、藩名を松嶺藩と改称した。明治4年(1871)廃藩置県により免官。明治17年(1884)子爵。本郷千駄木の自宅で没する。56歳。正三位。
墓は、天王寺墓地。戸塚静海の左。正面「正三位子爵酒井忠匡之墓」。同墓域に酒井家第9代の子爵酒井忠晄(さかいただあきら:忠匡の長男:1887-1923.1.18)の墓もある。