日本専売公社総裁・日銀理事・国税庁長官・大蔵省管財局長。従三位勲二等。和歌山県出身。旧制第一高等学校卒。昭和6年(1931)東京帝大法学部法律学科卒、同年大蔵省入省。昭和23年(1948)年主計局次長。昭和24年(1949)東京国税局長。昭和27年(1952)大蔵省管財局長。昭和30年(1955-1956)国税庁長官。昭和31年(1956-1961)日銀理事。昭和36年(1961-1965)日本専売公社総裁。58歳。夫人は、服飾デサイナー中島弘子。著書:「阪田泰二の絵ち文」。