佐奈田余一(さなだよいち)/佐奈田義忠(さなだよしただ)/真田余一    久寿2年〜治承4年8月23日(1155-1180)

    平安時代末期の武士・。相州石橋山合戦で討ち死に。父、岡崎義実(三浦義明の弟)。源頼朝の重臣土肥実平と関係が深深く、岡崎の西方の真田(佐奈田)の地(平塚市真田)を領した。治承4年(1180)8月父岡崎義実とともに頼朝の挙兵に参じ、山木兼隆館襲撃に加わり、8月23日頼朝の軍勢300余騎は大庭景親率いる平家方3000余騎とが相模国石橋山で対峙した。頼朝に戦陣を命じられ、奮戦の末討ち死にした。16歳。石橋山の戦いは頼朝が大敗し敗走、安房国へ逃れている。

墓は、龍谷寺墓地(谷中4-2-35)。正面「源家侍所別当佐奈田余一義忠」。山門脇にその魂を祭り「たんぼとけ」と呼び、百日咳・喘息に御利益があるという。本墓は、相州早川にあるらしい。