三遊亭円朝(さんゆうていえんちょう)・初代 天保10年4月1日〜明治33年8月11日(1839-1900)
落語家。本名、出淵(いずぶち)次郎吉。江戸湯島切通町の生まれ。父、音曲師・橘家円太郎(出淵長藏)。本名、出淵次郎吉。7才の時、子円太の名で高座にあがる。後に、父の師の二世三遊亭円生の門人となり、小円太として高座に上がる。両親の反対から一時廃業して浮世絵を学ぶなど、職を転々とするが、三遊派の再興をはかり結局落語家に戻り、安政2年(1855)に16才で芸名を円朝に改め、真打ちとなる。書画・俳諧を好み書物を読む。派手な芝居噺や怪談噺で人気となったが、師匠円生から同じ高座で演目を重ねられ、他人と同じ噺をしないと心に決めた。その後は「真景累ヶ淵」や中国の小説を元にした「怪談牡丹灯籠」「塩原太助一代記」などの創作噺や、自分で取材した実録人情噺を創出。62歳。得意演題:上記のほか「安中草三」、「英国孝子伝」など。
※ 円朝は、幽霊画を百幅集めていたが、その志半ばで亡くなったため、藤浦三周が志をついで収集を続け全生庵に40幅ほど寄贈した。その後も三周の息子、富太郎が収集を続け現在50幅が保存されている。毎年円朝忌を中心に全生庵で幽霊画が公開されている。
※ 辞世: 耳しひて聞きさためけり露の音
墓は、全生庵(谷中5-4-7)墓地中央あたり。案内表示があり分かりやすい。「三遊亭円朝無舌居士」。碑は、山門入って右側にある。