笹川三男三(ささがわみおぞう)     文久3年?〜昭和10年7月28日(1863?-1935)

    「テルモ」初代社長。明治21年(1888)東京帝国大学卒業。明治29年(1896-1922)東京慈恵会医科大学皮膚科講座の初代主任教授に就任。明治33年(1900)森下仁丹で有名になった森下博が創業した森下薬房から梅毒薬「毒滅」を発売したが、この処方を笹川が行った。大正10年(1921)竹内英二・北里柴三郎らと共に、体温計を量産するための会社「赤線検温器」を設立し初代社長となる。大正11年(1922)森下博が「仁丹体温計」を発売するにあたり、赤線検温器(株)に森下博が出資し、これを製造。72歳。

※ 「赤線検温器」は、昭和11年(1936)「仁丹体温計」と改称。昭和38年(1963)「仁丹テルモ」と改称。昭和49年(1974)「テルモ(株)」と改称。

※ 「テルモ」の名は、ドイツ語で体温計の意味の「テルモメーター(Thermometer)」に由来。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。日本美術院裏の通路を行き、「北原家之墓」の前を入って突き当り。正面「天籟院聴香日仁居士/天性院妙徳日有大姉」。台石「笹川」。