佐々木男也(ささきおとや) 天保7年〜明治26年11月25日(1836-1893)
長州藩士勤王活動家。通称、仙之助、宇多朔太郎。別名、牧山駒之助。父、佐々木五郎兵衛。萩出身。長崎へ遊学。政務座見習・蔵元役などを勤め、万延元年(1860)銃陣教練助教となり、西浜操練場開場に参加。文久2年(1862)文学遊学のため上京後、文書・記録役となり手廻組に加えられ、奉勅攘夷活動をする。文久元年(1861)同志と高輪東禅寺英国公使館を襲う。文久3年(1863)学習院に勤める。元治元年(1864)禁門の変により帰国し、萩で「南園隊」を組織して総督となる。藩内では正義派に属し、慶応2年(1866)四境戦争では石州口の戦いで功をあげる。戊辰戦争では振武隊総督として北越に出征。明治元年(1868)国政方御内用、伊崎県令、施政司試補を歴任。維新後は百十銀行支配人、共同運輸会社、郵船会社支配人。病死。正五位。58歳。
墓は、谷中霊園甲1号甲1側。管理事務所裏。正面「正五位佐々木男也之墓」。