関野聖雲(せきのしょううん) 明治22年〜昭和22年10月28日(1889-1947)
彫刻家。名、金太郎。神奈川県厚木市出身。少年時より彫り物が好きで、県の書記官秦源祐に見いだされ、博物館長の股野氏・溝口美術部長を介して14歳のとき高村光太郎の門人となる。筋が良く正式に勉強させるべきと、光太郎の推薦で東京美術学校に入学。学費は、秦氏が都合したという。大正2年(1913)東京勧業博覧会で技芸褒章受章。大正4年(1915)第9回文展に入選、以来毎回入選。帝展第2回から4回まで連続特選。昭和10年(1935-1944)東京美術学校助教授、のち木彫部主任教授。昭和12年(1923)文展招待。帝展・新文展審査員。日本美術協会彫刻部委員。60歳。代表作:「吉祥天立像」、「聖徳太子」など。
墓は、海蔵院墓地(谷中5-8-25)。山門を入り、左側の墓地。墓地に入り左へ行き突き当り。正面「関野家之墓」。「幽松院関山聖雲居士」。墓誌なし。