式守蝸牛(しきもりかぎゅう)・8代    元文5年〜文政5年(1740-1822)

    初代の相撲行司式守伊之助が引退後、式守蝸牛と名乗り、当墓はその子孫の八代目式守蝸牛。式守伊之助は木村庄之助に次いで2番目の地位(相撲番付で言うところの西の正横綱に当たる)にある。三役格行司から立行司に昇格する行司が代々襲名。墓碑には「八代目蝸牛」とある。東京深川の万徳院の墓が関東大震災で被災し、大正12年に深川万徳院から移転したものということが刻まれている。五太夫の末裔で式守伊之助の子孫が代々「蝸牛」を名乗ったと思われる。八代目は大相撲の行司ではなかったらしい。初代が鞍馬山鬼一相伝の「相撲赤膏薬」を発売、代々業とする。隠居して無三・蝸牛という。なお、初代式守伊之助(1739-1822)の墓は伊豆にある。著書:「相撲隠雲谷川解」。

墓は、乙8号5側。霊園事務所前の舗装通路を行き北側に入ったところ。正面「蝸牛墓」。