錣山喜平治(しころやまきへいじ)・6代     ?〜天保11年6月19日(?-1840)

    江戸大相撲の勧進元(興行主)。本姓、大橋清五郎。名跡錣山喜平治を継ぐ。宝暦13年(1763)勧進元となる。千住に住む。落語の阿武松(おうのまつ)には、根津七軒町に部屋を持つ親方として登場する。

※ ”2代”とする資料があるが、墓碑に従い”6代”とした。

※ 阿武松: 能登出身の長吉が、京橋の武隈文右衛門に弟子入りするが、並外れた大飯ぐらいのため一分の銭をもたされ破門される。身投げするつもりで有り金全部旅籠で飯を食うが、旅館の主人が食いっぷりに感心し根津七軒町の錣山喜平治に入門させる。その後阿武松という横綱に出世する・・・という噺

墓は、大円寺墓地(谷中3-1-2)。本堂右横。正面「龍震院雄山日堅信士/金雄院妙堅日好信女」。右面「武州千住在伊真村住人 大橋清五郎改六代目 錣山喜平治」。