島村ふさの(しまむらふさの)    明治38年2月11日〜昭和52年9月23日(1905-1977)

    服飾デザイナー。東京出身。大正13年(1924)東京女子専門学校卒業。滋賀県立愛知高等女学校教諭。昭和4年(1929)島村三七雄と結婚。退職後、パリで婦人服のデザイン・仕立て技術を習得。裁縫師組合・警視庁認可の「上一級裁縫師」の資格を取る。昭和9年(1934)パリに婦人服店を出す。昭和11年(1936)帰国し三越本店に入社し、チーフデザイナーとなる。昭和41年(1966)退職。六本木に婦人服店を開業。昭和49年(1974)日本デザイナークラブを設立し理事長。デパート専属の服飾デザイナーの先駆者となった。72歳。

島村三七雄(しまむらみなお)    明治37年7月9日〜昭和53年10月25日(1904-1978)

    洋画家・東京芸術大学教授。父、漢方医。大阪出身。昭和3年(1928)第9回帝展に「読書」を出品し入選。昭和4年(1929-1936)フランスに留学。昭和4年(1929)フランスのサロンド・ドートンヌに「午後」を出品し入選。昭和5年(1930)パリ国立美術学校に入学。昭和7年(1932)中退しアカデミー・ランソンでフレスコ画を修得。昭和8年から11年(1933-1936)サロン・デザルテスト・フランセで入選。帰国後日本橋三越で滞欧作品展を開催。昭和15年(1940)日本壁画会会員。独立展会友。独立美術協会展で協会賞受賞。昭和21年(1946)独立展会員。昭和31年(1956)新樹会会員。昭和32年(1957)東京芸術大学講師となり、壁画フレスコ画法を指導。昭和41年(1966)助教授。昭和42年(1967)教授。第34回独立展に「巽橋」を出品し日本芸術院賞受賞。昭和48年(1973)高松塚古墳保存対策調査会委員。74歳。

墓は、谷中霊園 甲6号19側 角。大工原銀太郎墓の並び。正面「島村家之墓」。ふさの:「智明院妙徳日證大姉」。三七雄:「天晴院顕真日雄居士」。フランス語で書かれた碑がある。