島村俊一(しまむらしゅんいち)    文久元年12月〜大正12年3月7日(1861-1924)

    医学博士・京都府立医科大学代5代学長・京都府立医学専門学校長。父、島村鼎甫。島村俊一は明治20年(1887)に東京帝国大学医科大学を卒業。榊俶教授が開講した精神病学教室に入局し、助手として活躍。明治22年(1889)鏡職工の水銀中毒について「情報:農と環境と医療」を報告。明治25年(1892)明治政府の命により島根県で狐憑きを調査し、「東京医学会雑誌」に「島根県下狐憑病取調報告」を発表。明治25年(1892-1894)ドイツ・オーストリアに留学し神経病学を研鑚。帰国後、明治27年(1894)12月京都府医学校・京都府立療病院に赴任し精神医学教室を開室した。明治29年(1896)医術開業試験委員。明治31年(1898)京都府医学校教諭。明治33年(1900.5-1910.3)京都府立医科大学代5代学長。明治39年(1906)医学博士。

墓は、谷中霊園 甲9号20側。正面「医学博士島村俊一/幸子 之墓」。