島岡老女(しまおかろうじょ)     文政元年9月4日〜明治33年4月25日(1818-1900)

    有栖川宮家老女。姓、関浦。名、婦自。京都出身。代々有栖川宮家に仕える。天保5年(1834)16歳のとき有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみやつなひとしんのう)の宮女となる。天保11年(1840)有栖川宮韶仁親王の四女精宮王女の養育係となる。天保14年(1843)精宮が徳川家慶の養女となると、従って江戸城に移る。弘化3年(1846)精姫が筑後久留米藩11代藩主(最後)有馬頼咸に嫁ぎ久留米に帰る。元治元年(1864)47歳で致仕。葵町小松宮邸にて没する。83歳。

※ 有馬頼咸:藩政を顧みずに遊興にふけり、さらに将軍の養女を娶るために、莫大な費用がかかり、財政が逼迫したという。

墓は、谷中霊園 甲2号3側。正面「純孝院殿誠誉忠節妙念大姉」。西川元譲(春洞)書の墓標。