清水済(しみずわたる) 安政3年12月15日〜明治26年8月19日(1856-1893)
工科大学教授・水利堤防の研究者。父、幕臣清水元一郎(二男)。江戸駿河台出身。明治12年(1879)7月東京大学理学部土木工学科卒・工学士、9月内務省御用掛。明治15年(1882)土木局11等出仕。明治16年(1883)9等出仕。明治17年(1884)内務技師。明治19年(1886)内務1等技手、奏任5等上、第4区土木監督署勤務。オランダ人技術者デ・レーケは、明治11年(1878)から毎年のように木曽川の現地調査を行っていたが、明治17年(1884)内務省から改修計画の策定を命じられ、その補助者に任命されたのが、わが国で近代教育を受けた内務省技師、清水済と佐伯敦崇(明治13年工部大学校卒)であり、木曽川改修工事で功績を上げる。明治22年(1889)独・仏・蘭・伊の4ヵ国に留学。土木監督署4等技手、工学博士。明治24年(1891)1月帰朝、2月内務省技師兼工科大学教授。8月土木局製図課長。従六位。38歳。夫人は、逸見氏。子は、清水誠。「元行院顕誉広斉居士」。
清水 誠(しみずまこと) 明治27年〜昭和59年3月31日(1894-1984)
東京工業大学名誉教授・愛国短期大学初代学長名誉教授。父、清水済。従三位勲三等。旭日中綬章。90歳。「澄泉院梅窓誠端居士」。
墓は、天王寺墓地。天王寺歴代住職墓域横。正面「清水家之墓」。左側「従六位工学博士清水済之墓」。墓誌は、植え込みに隠れて撮れず。清水斉の墓は、はじめ麹町心法寺にあった。