塩田三郎(しおださぶろう)    天保14年11月6日〜明治22年5月11日(1843-1889)

    駐清特命全権公使。父、幕府医官塩田順庵。別称、篤信・松雲。名、三郎。号、松雲。東京浜町出身。安政3年(1856)父の赴任に伴い箱館に行き6年間過ごす。名村五八郎(なむら ごはちろう:1826-1876)に師事し英学を、栗本匏庵に漢学を、フランス人宣教師メルメ・ド・カションに仏学を学ぶ。奉行命により米国鉱山学士パンペリーやブレークに同行し北海道全域を視察。文久3年(1863)江戸に召還され通弁御用となり、慶応元年(1868)遣仏横浜鎖港談判使節にフランス語通訳として随行。2年後に再び英仏に渡り、帰国後の慶応3年(1867)外国奉行支配組頭。維新後は新政府・外務省に出仕。明治6年(1873)外務大丞。外務少輔などを歴任後、明治13年(1880)外交官に復帰し、明治14年(1881)からは条約改正交渉に当たる。明治18年(1885)駐清国特命全権公使として清国に駐在し、琉球問題などに努めるが、4年後の在任中に北京で没した。享年47歳。

墓は、長久院墓地(谷中6-2-16)。山門から斜め左に見える大きい墓碑。「特命全権公使正三位勲二等塩田君墓」。山門外側に碑がある。