白井光太郎(しらいこうたろう)    文久3年6月2日〜昭和7年5月30日(1863-1932)

    植物学者・植物病理学の権威・東京帝国大学名誉教授。父、白井久人(長男)。越前福井出身。明治5年(1872)藩主松平春嶽より英語を学び、東京英学校・東京大学予備門を経て、東京帝国大学理科大学植物学科に入り、明治19年(1886)卒業。明治16年(1883)家督を相続。明治20年(1887)駒場東京農林学校教授。明治32年(1899-1901)植物病理学研究のためドイツに留学。帰国後、東京帝国大学農科大学助教授。明治40年(1907)同教授。明治43年(1910)理学博士。大正14年(1925)退官して東京帝国大学名誉教授。稲熱病病原菌の発見・梨赤星病菌の中間寄生決定等の歴史的偉業をなす。日本植物病理学会を設立し、初代会長となる。天然記念物の保存を訴え、今日保存するようになったのは白井光太郎の功績。不老長寿薬(烏頭)の配剤を間違え急死した。従三位勲二等旭日重光章。著書:「日本植物年表」、「植物妖異考」、「日本菌類目録」、「最新植物病理学」。70歳。

墓は、南泉寺(西日暮里3-8-3)。墓地奥、高台、奥側隣地寄り。正面「白井光太郎墓」。