菅野兼山(すがのけんざん) 天和元年2月7日〜延享4年5月26日(1681-1747)
儒家。名、彦または彰。字、直養・勘平。通称、彦兵衛。号、会輔堂。武州埼玉郡小針村(埼玉県伊那町)出身。はじめ佐藤直方に師事。のち、京都で伊藤仁斎に師事し古義学を学ぶ。のち三宅尚斎に朱子学を学ぶ。享保8年(1723)江戸深川に幕府が敷地・資金を補助して設立された郷校「会輔堂」を開設、多くの弟子に教えた。子の菅野要中(輪斎)も儒家。67歳。
墓は、玉林寺(谷中1-7-15)。墓地入口の階段上正面方向、最奥。塀側を向く。写真は、H.N.もへい様のご提供。生誕日に延宝8年(1680)という資料があるが、墓碑より上記を確認した。正面「兼山菅野先生之墓」。息子菅野綸斎(要中:寛政11年5月5日没)書の略歴あり。墓碑前の線香立てに「永阪家」とある。