江戸前期の南蛮医師。父、杉本忠庵(元喬)。沢野忠庵ことフェレイラの娘婿。ころびキリシタン沢野忠庵に師事し、南蛮外科を修得。寛文6年(1666)12月1日4代将軍徳川家綱に拝謁。寛文10年(1670)12月25日幕府の医官となり、200俵を給された。官医となった最初の洋方医。のち侍医に進み、法眼に叙せられた。延宝6年(1678)京都にて女院の病気治療にあたる。天和3年(1683)隠居。杉本忠恵の子孫は代々医者となった。「智峰庵法橋忠惠宗信居士」。はじめ品川東海寺に葬られる。
杉本忠恵(すぎもとちゅうけい)・2代/杉本元真(すぎもともとざね) 承応元年〜享保9年8月17日(1652-1724)
法眼・奥医師。2代目杉本忠恵。名、忠恩。延宝元年(1673)4代将軍徳川家綱に初拝謁。天和3年(1683)家督を相続し、小普請となる。貞享4年(1687)奥医師。元禄8年(1695)法眼となる。宝永6年(1709)5代将軍徳川綱吉が没すると寄合となり、番医勤務となる。正徳元年(1711)勤務を辞する。享保2年(1717)再度奥医師となり享保9年(1724)辞する。「智孝院法眼日淨居士」。
杉本忠惠・3代/杉本良英(すぎもとよしふさ) 元禄11年〜寛保2年4月2日(1698-1742)
医師。3代目杉本忠惠。名、元慎。享保9年(1724)8代将軍徳川吉宗に初拝謁。本科を専門とし小石川養生所で治療に当たる。「能治院是好日差居士」。
杉本忠惠・4代/杉本良貞(すぎもとよしさだ) 享保18年〜寛延3年4月6日(1733-1750)
医師。4代目杉本忠惠。名、主馬。寛保2年(1742)10歳で相続。「真善院道有日存居士」。
杉本忠惠・5代/杉本良献(すぎもとよしのり) 享保20年〜天明元年7月11日(1735-1781)
医師。名、安次郎。父、宮村永庵富良(2男)。良貞が病のため養子となる。寛延3年(1750)16歳で相続。明和6年(1769)番医。「聚徳院道勇日惠居士」。