砂川七郎(すながわしちろう)     大正2年〜平成7年5月20日(1913-1995)

    砂川美術工芸館創設。田中村(柏市大青田)出身。曾祖父は神官、祖父は流山市駒木にあった私学鏑木学校を創立。父はその鏑木家から砂川家に養子として入る。砂川七郎は7男。長男でなかったため、師範への道をあきらめ、名古屋の学校に入る。そこで芹沢_介や、棟方志功らが装幀した三冊の美しい本、柳宗悦主宰の雑誌「工藝」に出会った。以来、人間国宝芹沢_介作品を収集。戦争で収集品を失うが、経済成長期に経営コンサルタントをする傍ら、収集を続ける。昭和56年(1981)柏の手賀沼に近い私邸内に「砂川美術工芸館」を創設。のち、体調を崩し、維持できなくなり、コレクションの散逸を防ぐために柏市に寄贈。翌日に没する。柏市は、平成8年(1996)市立工芸館として再開するも、平成19年(2007)6月29日に閉館した。着物やのれん、屏風など、生涯かけて蒐めた品は640点にもおよぶという。

墓は、寛永寺第二霊園。第二霊園入り口から大通路を行き、左側に"二のお霊屋"の鉄扉が見えるところを、右に入り、左側の奥から5基目辺り。