尚昌(しょうしょう)    明治21年9月11日〜大正12年6月19日(1888-1923)

    琉球王朝の第2尚氏王統・式部官。父、琉球王の尚典(1864-1920)(長男)。沖縄出身(首里城で誕生)。学習院初等科に入学。明治42年(1909)旧制学習院高等科を中退し、オックスフォード大学に入学、大正4年(1915)オックスフォード大学卒業。帰国後式部官。大正9年(1920)父死去に伴い侯爵および貴族院議員となる。中国旅行中に盲腸炎になり死亡。第2尚氏は、1470年に成立。明治5年(1872)琉球藩ができたとき祖父の最後の琉球王尚泰を藩主としたが、明治12年(1879)の琉球処分に至り首里城を明け渡した。第2尚氏王統は、琉球処分まで19代・410年間続いた。尚泰は廃藩置県後侯爵に叙せられたが東京に住むことを命じられた。

墓は、津梁院墓地(上野桜木1-14-29)。言問通り側奥右側。「侯爵尚昌之墓」。没年は右から左に書いてある。津梁院第2霊園(上野桜木2-1)整備に伴い、当場所に移転したものと思われる。