生源寺節子(しょうげんじせつこ) 文政4年6月13日〜明治36年9月10日(1821-1903)
近衛家老女。父、小比叡禰宜従四位生源寺宿禰(三女)。母、清水氏。近衛忠房(天保9年〜明治6年)が生まれると16歳で養育係となる。嘉永ころ累進して老女となり、5石2口を賜り、のち2石を加増され、公族の婦人に准じた。明治6年(1873)近衛忠房が没すると、忠房の父近衛忠熙(文化5年〜明治31年)に仕えた(らしい)。晩年は、耳が聞こえなくなった。東京で没する。82歳。
墓は、谷中霊園 乙12号10側。正面「芳心院妙薫照阿大姉」。このエリアのすべての墓碑に「宿坊 津梁院」と記してある。津梁院の管轄(だった)らしい。近衛忠房と、その父近衛忠熙墓は、かつて当所より南200mほどの津梁院墓地にあった。節子墓には、「この北に位置するところに埋葬した」と墓碑に記されている。なお、傍の塀の向こう側は、津軽藩主の墓域で、津梁院の管轄である。宿坊:(このケースでは)檀家が自分の寺を指す場合にもちいている。