松林伯円(しょうりんはくえん)・初代    文化8年〜安政2年10月2日(1811-1856)・・・1812説あり

    江戸末期の講釈師。本名、堀川助太郎。号、松林亭伯海、のち独立して伯円。父、南伝馬町の寄席堀川嘉兵衛。初代の神田白龍の門人。得意演題は、「曽我物語」、「義士銘々伝」などの軍談。安政の大地震により死亡。伊東燕凌・石川一夢とともに3名誉と称される。44歳。

正面「軍談師/初代伯円之墓」。台石「松林」。「釈覚定信士」。浅草永住町覚音寺より改葬。

松林伯円・2代     天保3年〜明治38年2月8日(1832-1905)

     講釈師。本名、牛島辰弥のち義行。父、常陸国下館の石川家家臣郡奉行牛島助之進(4男)。伊井家絵師向谷家へ入るが、絵師にむかず、親類筋の若林家に入り、駒次郎さらに義行と改める。講談に熱中し勘当され、はじめ伊藤潮花の門人となり、伊藤花鏡と名乗るも見込みなしと断られる。2代馬琴(東集斎琴調)に師事し、調林と名乗る。20歳のとき初代伯円の芸養子となり門跡を継ぐ。白浪ものを得意とし「泥棒伯円」と言われた。明治講談界の代表的存在。明治維新後は、新聞講談も創作し、明治19年(1886)には御前公演も行った。晩年は、東玉と改名。作品:「鼠小僧」、「天保六花撰」、「高野長英」、「高橋お伝」など多数で、河竹黙阿弥が劇化したものも多い。74歳。
正面「二世松林伯円事若林義行累世之墓」。

墓は、南泉寺(西日暮里3-8-3)。高台側墓地最奥。向って右側が初代墓、左側が2代墓。東京都指定旧跡の説明板あり。