田川鳳朗(たがわおうろう)    宝暦12年〜弘化2年11月28日(1762-1845)

    俳人。本名、厳島義長。字、中立、通称、東源。号、自然堂・対竹・負山子・花之本・芭蕉林・藍蓼庵・京陵山人・鶯笠庵ほか。父、田川鼎山。熊本県出身。俳諧を熊本の綺石に師事。江戸で道彦に師事。肥後藩主細川重賢が参勤交代のとき、才能を認められる。芭蕉に「花之本明神」の論号を賜る。蒼虻・梅室と共に天保の三宗匠と称される。絵画も残す。84歳。刊行:「芭蕉葉ふね」、「自然堂千句」、「奇談夢の桟」、「芭蕉俳諧師説録」、「鳳朗発句集」。
辞世「からになる無常もありて蝸牛」。

 
墓は、天王寺墓地。天王寺歴代僧侶墓の南(向かって左)へ約20m。2本目の木の根元。自然石に「自然堂鳳朗之墓」とある。