高木豊三(たかぎとよぞう) 嘉永5年5月17日〜大正7年3月13日(1852-1918)
司法官。法学博士。父、丹波国桑田郡の代官高木文右衛門(4男)。丹波出身。ばじめ京都でフランス語を学び、明治の始めに東京に出て司法省明法寮に入りフランスの法律を学ぶ。明治7年(1904)司法省法学校卒、法律学士。明治9年(1976)司法省に出仕。その後司法省、太政官。明治17年(1884)判事。明治19年(1886)に在官のままドイツ留学。明治23年(1890)帰国。福島始審裁判所、同地方裁判所所長、同重罪裁判所長、大審院判事、高等捕獲審検所評定官、司法省民刑局長、司法次官を歴任。この間明治26年(1893)ころ法典調査会メンバー。明治30年(1897)退官し弁護士となる。明治33年9月〜大正7年3月(1900-1918)貴族院勅選議員。明治34年(1901)法学博士。東京帝国大学および法律学校講師。のち、日本赤十字社法律顧問・キリン麦酒・日之出生命保険監査役・東京商業会議所特別会員。東京市牛込の自宅で没する。著書:「刑法論」、「民事訴訟法論」。
墓は、寛永寺谷中墓地。徳川慶喜墓の北東側新分譲地区北側。正面「高木豊三墓」。