高森砕巌(たかもりさいがん) 弘化4年5月22日(10月1日説あり)〜大正6年10月25日(1847-1917)
日本画家・書家。名、宗之助。幼名宗之助。字、子訥。通称、有造。号、砕巌・翠巌・菊梁・自知斎・七松園・双松庵・朶香・遂頑居士など。千葉県出身。江戸で服部蘭台に師事し儒学を学ぶ。17歳で渡辺崋山の高弟山本栞谷について南画を学ぶ。山水・花卉を題材とした。鑑識・鑑定家としても一目置かれた。民間企業や官庁に勤めるが画作に専念。明治のはじめ下谷根岸に学塾を開いた。南画会の結成に参加。日本美術協会会員。門下に佐藤大寛らがいる。71歳。作品:「四時花卉図」、「五百羅漢図」など。
墓は、永久寺墓地(谷中4-2-37)。墓地入口を入り、左2列目角。正面「高森氏之墓」。「自知砕厳居士」。