高野重三(たかのじゅうぞう) 慶応2年10月4日〜昭和6年9月5日(1866-1931)
同志社理事。父、高野初三(二男)。同志社に学び新嶋襄に師事。カナダトロント大学に留学。最高の栄誉賞金杯を授けられ帰国。東京高等学校で教職に就く。のち父に呼ばれ礦油・工業薬品等の販売に携わり繁盛する。のち同志社理事・東京近隣館常務理事・中央妻女会理事などを務める。66歳。抄訳:シユライネル著「婦人問題早わかり」。著書:「有意義成る生活」。
墓は、谷中霊園 乙6号4側。正面「高野重三/妻武羅子 之墓」。墓誌に略歴あり。高野初三墓も隣りにある。