高尾亨(たかおとおる) 明治9年11月25日〜昭和6年3月26日(1876-1931)
外交官・南京領事・漢口総領事。父、近藤大五郎(二男)。東京出身。のち長崎県人高尾恭治の養子となり家を継ぐ。神田共立学校・国民英学校に学ぶ。明治28年(1895)北京にて中国語および漢学を学ぶ。明治33年(1900)外務省に入り、通訳生となる。明治37年(1904)外務省書記生に転じ、北京総領事の下で書記生。明治39年(1906)2等通訳官、ついで公使館3等書記官。大正5年(1916)南京領事。大正7年(1918)成都総領事。大正10年(1921)外務省情報部第1課長心得となり、加藤友三郎全権に随行、ワシントン(華府)会議に出席。漢口総領事。大正11年(1922)伊集院彦吉の信望厚く、氏の関東長官。氏が外務大臣になると秘書官に補任。昭和4年(1929)官を辞し鴨緑江採木公司日本側理事長。56歳。
墓は、谷中霊園 乙5号2側(飛び地)。菊池大麓墓うら。正面「高尾家之墓」。「高徳院丹峰春渓居士」。