武田仰天子(たけだぎょうてんし)    嘉永7年7月25日〜大正15年4月14日(1854-1926)

    小説家。東京朝日新聞記者。父、武田徳平(長男)。本名、武田穎(たけだえい)。別号、如心庵。大阪堂島出身。堺の河泉学校に入学。明治7年(1875-1885)小学校教員。明治21年(1888)金港堂の「都の花」に処女作「水の余波」を発表し好評を得る。大坂いろは新聞に認められ記者となる。明治22年(1889)「都の花」に「三都の花」を発表して文壇にデビューした。明治23年(1890)「新著百種」に「新世帯」を発表。京阪の新文学運動に参加し、雑誌「浪華湯」などに新作を続々と発表した。都新聞・改進新聞・中央新聞の三面記者を経て明治30年(1897)東京朝日新聞に入社。仰天子の号で長期間連載小説を執筆。大正5年2月頃、東京朝日新聞に「義経」を連載。ほかに「諏訪都」、「何」、「梅若心中」を書き評判を得た。著書:「明智光秀」、「荒木又衛門」、「薩摩琵琶歌」、「夜の矢来」、「二代忠考」、「蘇我兄弟」、「静御前」、「井字橋」、絵本「お馬どうどう」など。73歳。※嘉永7年は11月26日まで、27日〜安政元年。

墓は、臨江寺墓地(谷中1-4-13)。墓地高台、奥側の階段上すぐ右側。蒲生君平墓前付近。墓誌は薄れて読めない。正面「武田頴之墓」。「天眞穎脱居士」。墓碑には銅版自画像がはめ込んである。