竹本住之助(たけもとすみのすけ) 明治11年2月〜明治27年9月7日(1878-1894)
明治前期の浄瑠璃女流義太夫。本姓、桜井てつ。東京出身。明治20年(1887)竹本小住の内弟子になり、住八の名で寄席へ出る。明治23年(1890)住之助と改名し、真打となる。明治27年(1894)巡業先の秋田で病没。17歳。
※ 竹本: 義太夫節の開祖竹本義太夫の芸名の苗字であるが、転じて義太夫の太夫が芸名に竹本か豊竹を苗字とするようになった。また、娘義太夫・女義太夫と言われてきたが、最近では女流義太夫というようになった。
墓は、全生庵墓地(谷中5-4-7)。本堂裏角のお地蔵様を左に曲がり、左側すぐ。正面「竹本住之助墓」。線香台に「石井」とあるのが気になる。墓碑裏の記載によると、尾上菊五郎・中村福助・市川小団次・三遊亭円遊・竹本綾瀬・柳家禽五郎・竹本小住らによる建墓である。墓碑裏に、来歴らしい何かが書かれているが、風化していて読めない。芸能人物辞典参照。