田辺貞吉(たなべさだきち)     弘化4年〜大正15年1月3日(1847-1926)

    住友銀行初代支配人。父、田辺四友(長男)。静岡県沼津出身。幼少時より西洋の学問を修める。東京師範学校長。明治14年(1881)教職を辞し実業界に転ずる。住友銀行重役局詰。明治23年(1890)神戸支配人。明治27年(1894)本店支配人、最高顧問。市区会議員。大阪商業会議所特別議員。日本セルロイド・人造絹糸・桜セメント・摂津電機・瓦斯マントル各取締役。汽車製造監査役。甲南女子大学初代理事長。勲五等。79歳。
※ 明治38年(1905)住吉村反高林(たんたかばやし)に二千坪をこえる土地を取得し、明治41年(1908)邸宅を建設し、引退後を過ごした。関東大震災で被害を受け取り壊しの危機となったが、武田薬品工業の手で京都薬用植物園の迎賓資料館として、移築再生された。旧田辺貞吉邸として現存する。

墓は、谷中霊園 甲5号12側。正面「田辺貞吉/室 恒子 墓」。「厳正院貞純日慈居士」。