田中不二麿(たなかふじまろ) 弘化2年6月12日〜明治42年2月1日(1845-1909)
子爵・尊王論者。明治初期の官僚。名古屋出身。父、尾張藩士田中儀兵衛(長男)。藩校明倫堂助教並を経て、藩政に参画。明治2年(1869)政府に仕官し大学御用係となる。明治維新後は、外国通の政治家として活躍した。明治4年(1871)岩倉遣外使節団の随行員として文部理事官であった田中不二麿も参加し欧州各国の教育制度を視察した。明治12年(1879)9月文部大輔が制定に尽力した「教育令」を布告。明治13年(1880)司法卿に転ずる。明治20年(1887)子爵。明治24年(1891)1第一次松方内閣司法大臣。子に地理学者の田中阿歌麿(1869-1944)がいる。
墓は、谷中霊園乙5号3側にあったが、あきる野市カトリック墓地に改葬。