田中剛三郎(たなかごうざぶろう)     明治41年〜昭和59年6月4日(1908-1984)

    オーム社社長・電気科学技術奨励会理事長。父、田中甚之助(三男)。茨城県出身。大正13年(1924)オーム社入社。昭和23年(1948)オーム社社長。オーム技術賞を創設し、戦後の日本に電気科学技術の振興・普及を推進。60年余り電気科学技術関連の出版事業を行う。また、出版文化国際交流の発展に尽力する。電気科学技術奨励会理事長。昭和44年(1969)黄綬褒章受章。従五位勲四等旭日小綬章。77歳。著書:「神田錦町」、「G.S. オーム博士の生涯」。

墓は、寛永寺第3霊園。入り口より大通路を行き、中程を右へ。5基目左。3基目にも田中がある。今東光墓の裏にあたる。「慧厳院剛風直心居士」。