田中弘義(たなかひろよし) 弘化4年〜明治21年12月5日(1847-1888)
明治期の天文学者。名、弘義。通称、周太郎。父、田中匡。東京目白台出身。代々徳川幕府に仕える。村上英俊に英語を学ぶ。開成所句読師・元治元年(1864)教授。慶応2年(1866)フランス公使通訳。フランスに渡り海軍造船研究をする。慶応3年(1867)横須賀造船所専任。明治元年(1868)2等教官。明治2年(1869)大学中助教。大学大教授。大学南校教官。明治5年(1872)文部省6等出仕。明治6年(1873)開成所校長事務兼天文学教場事務。金星の太陽面通過を適中。渡欧米星学士。明治7年(1874)伝兵学少教授。明治8年(1875)陸軍省7等出仕兼幼年士官学校教官。明治18年(1885)従六位勲六等旭日章綬章。明治19年(1886)東京仏学校長。42歳。
墓は、谷中霊園 甲1号3側。正面「従六位勲六等田中弘義之墓」。墓碑側面に略歴あり。