田中増蔵(たなかますぞう) 慶応元年〜大正4年11月12日(1865-1915)
擇木道場の寄進者。号、大綱。東京神田出身。医学専門書籍商叶鳳堂店主。51歳。
※ 擇木道場:大正4年(1915)に田中大綱により建設された人間禅教団の禅道場で、谷中霊園の天王寺側近くにある(谷中7-10)宗派にとらわれず、一般人でも禅修業ができるとしている。ここは、平塚らいてうが日本女子大の学生のころに参禅に通った「両忘庵」の跡。人生に迷っていた彼女は、熱心に通い「慧薫」の安名をもらい、第二の誕生と言ったという。当時の宗活の師は、鎌倉円覚寺の管長釈宗演で、夏目漱石の禅師でもある。
墓は、谷中霊園 甲12号1側。天王寺側から入り、石畳通路曲がり角の突き当り。墓碑は球形している。門柱の両側「日面仏・月面仏」。台石正面「護法院貫道大綱居士」。台石右側面「叶鳳堂主田中増蔵」。