谷 信近(たにのぶちか)     万延元年〜昭和8年11月2日(1860-1933)

    明治大正期の中国語学者。父、下野壬生藩士。栃木県出身。東京外国語学校卒業。中国に留学し、のち外務省に入り、日清・日露戦争時に陸軍通訳となる。のち、関東都督府高等法院通訳。一方で、旅順に「支那語研究所」を設立。谷の提唱により大正2年(1913)「満蒙研究会」が創設される。大正12年(1923)退官して、正隆銀行に入り、日中の経済提携に尽くす。正五位勲四等。大連で没する。正五位勲四等。74歳。

墓は、谷中霊園 甲13号8側。正面「霊塔碑」。台石が碁盤になっている。