立浪弥右衛門(たつなみやうえもん)    明治10年1月12日〜昭和27年12月16日(1877-1952)

    関取、大横綱双葉山定次・大関羽黒山の師匠。本名、高木友之助。富山県出身。はじめ京都力士となるが、明治31年(1898)春日山万蔵に入門、緑島友之助の四股名で幕下付け出しで登場。明治36年(1903)東西合併後、明治41年(1908)小結に昇進。大正5年(1916)引退。4代目立浪を襲名。幕内在位27場所。幕内成績78勝120敗。横綱双葉山・羽黒山・大関名寄岩等の力士を排出。74歳。

高木友之助(たかぎとものすけ)     大正13年?〜平成12年2月10日(1924?-2000)

     中央大学総長。中国哲学者。父、立浪弥右衛門(長男)。平成2年(1990.11-2000.2)第11代中央大学総長。日本学生相撲連盟会長。心不全により没する。贈従四位勲二等瑞宝章。76歳。のちに、「高木友之助記念学術奨励賞」が設けられている。

※ タレントの高木ブーも本名高木友之助で、中央大学出身。「高木友之助様 高木友之助より」という手紙があるらしい。

墓は、谷中霊園甲1号10側。正面「高木家之墓」。羽黒山以下、門下等72名の「立浪弥右衛門翁之碑」がある。