天海僧正(てんかいそうじょう)    天文5年〜寛永20年(1536-1643)

    奥州会津郡高田郷芦名氏の一族である舟木景光の長男として生まれ。幼名、兵太郎。11歳で出家、14歳で比叡山に行き、神蔵寺実全に師事し、天台教観を学ぶ。諸寺にて学門を極め、天正17年(1589)、駿府で徳川家康の帰依を受け、武蔵国川越喜多院、日光山に居住した。家康没(元和2年:1616)後、その神格化に当り権現号の勅許を計り、日光廟の建設を指導した。寛永2年(1625)江戸城鎮護のため鬼門にあたる上野忍岡に東叡山寛永寺を創建。また、幕府の政治にも影響力を行使、黒衣の宰相といわれた。のち上野国世良田の長楽寺に隠退。108歳まで生きた。