十河晋斎(とがわしんさい)    文政11年〜明治37年1月2日(1828-1904)

    漢学者。名、定保。号、晋斎。岩国二本松出身。安積艮斎(あさかごんさい:1791-1860)の門人。昌平校に学び、のち教授となる。32歳のとき十河杢左衛門の養子となる。維新後、京都府御用掛となり、府史編纂に従事。のち、豊岡神社宮司・久爾宮晃親王侍講・神奈川県師範学校講師を歴任。東京に移り、「説文会」を再興。大沼枕山とは親友で、遺言により大山枕山墓近くに葬られる。77歳。

墓は、瑞輪寺墓地(谷中4-2-5)。大沼枕山墓とは主通路を隔てて反対側。日本美術院の裏を右に入り、華落院殿墓の前。正面「晋斎十河定保墓」。