徳川家基(とくがわいえもと)    宝暦12年10月25日〜安永8年2月24日(1762-1779)

    10代将軍徳川家治の長男。幼名、竹千代。側室お知保の方(蓮光院)の子だが、家治の正室倫子に子がなく、倫子の養子となり、西の丸に育つ。明和2年(1765)家基に改名、翌3年(1766)元服。安政8年(1779)18歳のとき鷹狩りの帰りに突然苦しみ出し、三日後に急死し、いくつかの毒殺説がある。死ななければ第11代将軍になったはずの立場で、幻の11代とも言われる。従二位大納言。贈正一位。

墓は、寛永寺の二のお霊屋。吉宗墓所の参道脇。「孝恭院殿贈正二位内大臣尊儀」。