徳川為子(とくがわためこ)     明治31年〜平成元年(1898-1989)

    徳川頼貞夫人。父、島津忠義(10女)。母、側室菱刈久。紀州徳川家侯爵徳川頼貞(1892-1954)に嫁ぐ。

※ 兄弟: 長女清子(1871-1919:異母姉:貴族院議員副議長侯爵 黒田長成に嫁す)。二女充子(1873-1889:異母姉:侯爵 池田詮政のち貴族院議員伯爵 松平直亮に嫁す)。三女常子(1874-1938:異母姉:山階宮菊麿王妃となる)。四女知子(1875-1948:異母姉:伯爵 徳川達孝に嫁す)。五女貞子(1878-1974:異母姉:陸軍中将伯爵 久松定謨に嫁す)。七女俔子(1879-1956:異母姉:元帥陸軍大将久邇宮邦彦王妃となる)。島津徳之助。島津和子。島津邦丸。九女正子(1885-1963:異母姉。貴族院議長公爵 徳川家正に嫁す)。島津忠重(1886-1968:異母兄:海軍少将侯爵)。1891-1928 二男島津忠備(1891-1928:分家:男爵)。三男島津忠弘(1892-1922:分家:男爵)。四男島津久範(1894-1944:島津忠麿の養子:伯爵)。五男島津康久(1895-1972)。また、母の菱刈久は、昭和天皇の第五皇女貴子さんと結婚した島津久永の祖母にあたる。

墓は、寛永寺第一霊園。入り口より右側の塀際。塀に沿う通路を行き、約30m左側。墓碑は塀側を向く。正面「紀伊 徳川家之墓」。墓誌はなく、「昭和40年3月 徳川為子建之」とある。