戸塚機知(とつかみちとも) 明治元年〜明治43年7月31日(1868-1910)
明治期の医師・「征露丸」の考案者。父、幕府医師戸塚静甫。細菌学研究でドイツに留学。軍医学校教官。勲五等瑞宝章。2等軍医正。従四位勲四等。43歳。
※ 軍医学校教官(3等軍医正)時代に、腸チフス菌と大腸菌の分離培養中に、たまたまクレオソートを内服している者の便から培養した大腸菌が、腸チフス菌に対して普通の大腸菌より著しく制圧作用があることに気づき、2等軍医正の白岩六郎とクレオソート丸として戦地出征兵士に配られたという話があり、これが「征露丸」の原点とする説がある。
墓は、谷中霊園 甲9号7側。飛び地。甲9号26側標識横から入り突き当り。正面「従四位勲四等戸塚機知之墓」。