東宮鉄真呂(とうぐうてつまろ)     文久3年3月朔日〜大正6年5月8日(1863-1917)

    国文学者・禊教会本院長。名、豊則。通称、鉄真呂。号、亀陵・雪乃舎・下野園。父、東宮千別(第二子)。下野国芳賀郡生まれ。京都出身。兄、高明の早世により家を継ぐ。平山省斎に師事し経史を学ぶ。東京帝国大学古典講習科卒業。郁文館中学校教授。学習院助教授。傍ら大成教中教正。禊教会本院長。陸軍教授。従五位勲五等。55歳。作詞:「ますらたけを」、「学びのみち」、「御国の旗」、「入営兵士を送る」。著書:「語格要覧」、「宇治拾遺物語抄 教科適用」、日本語大辞典付録「下総国猿島郡方言表」。

墓は、谷中霊園 乙9号1側。高台階段上、安東真鉄墓域(乙9号8側)内左側。正面「従五位勲五等東宮鉄真呂墓」。父東宮千別(1834-1897)墓は、向かい側にある。