登山俊彦(とやまとしひこ) 明治36年〜昭和45年11月10日(1903-1970)
日本教図創設。父、登山伊次郎。鹿児島(奄美屋仁)出身。旧姓大島中学校卒。昭和5年(1930)東京文教社を設立、鹿児島で学校教材販売をはじめる。昭和7年(1932)東京に日教木工所を設立し社長となる。昭和9年(1934)地図の出版販売を始める。終戦とともに東京建具商会を設立し、東京の復興に貢献。昭和23年(1948)日本教図(株)を設立し取締役。この頃、東京に登山学生寮を建設し、奄美出身の学生の便宜を図る。昭和30年(1955)日本教材出版会会長。昭和36年(1961)ヒルマ設立し社長。昭和37年(1962)10月全日本学校教材教具共同組合理事長。昭和40年(1965)全国中小企業団体中央会議評議員。68歳。
※ 登山伊次郎(大正13年歿61歳)は、大島紬の花鳥の絵文様を織りだす技法の考案者。
墓は、寛永寺第1霊園。入り口より大通路を行き右側。左側の大きな石川博資墓の通り向かい。胸像がある。正面「登山家之墓」。「教徳院殿育英俊彦大居士」。