坪井玄道(つぼいげんどう)    嘉永5年1月9日〜大正11年11月2日(1852-1922)

    明治期の体操教育の功労者。下総東葛飾郡鬼越村(千葉)出身。明治4年(1871)大学少得業生。明治8年(1875)東京師範学校教諭、のち宮城英語学校に赴任。明治11年(1878)政府がアメリカ人を招聘して体操伝習所を設立したおりに通訳となり、明治16年(1883)同所勤務となる。明治18年(1885)「戸外遊戯法」を出版しサッカー・野球などを紹介。明治19年(1886)東京高等師範学校体操主任教諭。明治33年(1900)ドイツ・フランス・イギリスへ留学、明治35年(1902)帰国、東京高等師範学校体操主任教授。当時理解されなかった学校体操の普及に努めた。明治43年(1910)退官。71歳。

墓は、谷中霊園。