津田出(つだいずる)    天保3年〜明治38年6月2日(1832-1905)

    幕末の紀州藩士・維新後の陸軍少将。幼名、又太郎。号、芝山。諱、出。父、津田三郎右衛門。和歌山出身。安政元年(18954)江戸に出て蘭学を修め、藩邸の文武場教授となる。幕末と明治初期の二度にわたり紀州藩の藩政改革を行い、俸禄の大削減や無役の藩士の農工商に従事することを許した。明治2年(1869)和歌山藩大参事となり、他藩に先駆け徴兵制を採用した。明治4年(1871)廃藩置県直後に大蔵少輔となり、明治6年(1873)陸軍省に転じ、以後、会計監督長・陸軍少将・陸軍大輔・元老院議官・刑法の審査委員を務める。明治19年(1886) 高等法院陪席裁判官、ついで錦鶏間祗侯。明治23年(1890)貴族院議員。近代陸軍の基礎を築いた。辞任後は千葉県の原野開発に尽力。74歳。従二位勲一等瑞宝章。弟に初代和歌山県権(知事に相当)の監物正臣(1841-1896)がいる。

墓は、天王寺墓地。さくら通り沿いの神谷伝兵衛墓の並びの天王寺よりのブロック塀内。大きな桜の木の根元。正面「芝山先生津田君之墓」。