津田眞澂(つだなおます/ますみ)    大正15年2月25日〜平成17年9月2日(1930-2005)

    経済学博士・一橋大学名誉教授。曽祖父、出雲母里藩10代藩主の松平直哉。祖父、子爵松平直敬(なおよし)/松平宗円。母、松平初子(津田利機に嫁ぐ)。東京青山出身。父の転勤に伴い小中学校を変転。昭和22年(1947) 官立弘前高等学校理科甲類(天文学)卒業し、父の会社茂山鉄鉱開発株式会社に就職。昭和24年(1949)東京大学経済学部に入学し、欧州経済史を学ぶ。昭和27年(1952)東京大学経済学部卒業。東京大学経済学部助手、 武蔵大学経済学部専任講師・教授、中央大学教授などを経て、昭和45年(1970) 一橋大学社会学部教授となる(労働問題)。以後、多くの労働・社会問題について活躍。アメリカ・日本の労働問題研究から経営管理論などに研究範囲を広げ、日本的経営論に独自の体系を築く。平成元年(1989)一橋大学教授を定年退官、4月名誉教授。同年青山学院大学国際政治経済学部教授。 平成6年(1994)青山学院大学教授を退任。同年青森公立大学経営学部教授。平成11年(1999)青森公立大学教授・大学院経営経済学研究科長を退任。平成13年(2001)青森公立大学名誉教授。平成17年(2005) 9月30日従四位瑞宝中授章受章。80歳。著書:「日本的経営の論理」。

墓は、寛永寺第二霊園。第2霊園入口より真っ直ぐに進み、右側2本目の桜の木のそば。広い通路に面する。正面「竹内家之墓」。「啓迪院紅嶽経眞清居士」。