都筑仙芝(つづきせんし)/都筑仙子     嘉永元年〜明治34年1月30日(1848-1901)

    明治期の囲碁棋士5段。妻、松子。54歳。

都筑米子(つづきよねこ)     明治5年〜昭和12年5月30日(1872-1937)

     明治大正期の女流棋士4段。旧姓、村田。茨城県古河出身。棋士都筑仙芝の養女となり、14歳のころ碁を覚える。本因坊秀栄・梅主長江らに師事、明治23年(1890)初段。大正14年(1925)4段。この間、明治40年(1907)「女碁客大手合」(毎日電報)で優勝。また、喜多文子と「囲碁同志会」に参加。米子は、純然なレッスンプロではなく、方円社定式手合にも参加し、ほぼ五分の戦績であった。一時は、喜多文子のライバルの目される。生涯独身で、”女将軍”と呼ばれた。弟子に、吉田志津がいる。66歳。追贈5段。

墓は、谷中霊園 乙6号2側。正面「都筑仙芝/妻 松子 墓」。