津軽承叙(つがるつぐみち) 天保11年8月29日〜明治36年12月7日(1840-1903)
陸奥国黒石藩第4代(最後)藩主。幼名、本次郎・朝澄。父、津軽順朝(ゆきとも)(二男)。母、高倉森盛儀の娘。正室は、因幡鹿奴藩第8代藩主池田仲律(いけだなかのり:1805-1850)の娘千也子。正三位・子爵。先代津軽承保の養子。嘉永4年(1851)家督を相続。慶応4年(1868)戊辰戦争では、本家弘前藩と共に新政府側につく。明治2年(1869)版籍奉還で藩知事。廃藩後、子爵となる。貴族院議員。長男に津軽類橘、娘に小笠原長育正室、加藤泰成正室がいる。64歳。
津軽類橘(つがるるいきん) ?〜明治44年10月26日(?-1911)
弘前藩津軽伯爵家の支藩黒石藩津軽家・子爵。父、陸奥国黒石藩の第4代(最後)の藩主津軽承叙(長男)。著書:「Conversation Phrases for Students Use. Revised by Thos. H. Ogawa Brennan」。
墓は、津梁院墓地 (上野桜木1-14-29)。墓地入口の正面奥。類橘墓は、五輪塔3基のうち左のもの。「文洸院殿馨橘天祥大居士」。墓誌のない2基は、H.N.もへい様の情報では、1基は歴代藩主(津軽承叙を含む)の合祀墓でもう1基が正室や側室子女の合祀墓。