堤静斎(つつみせいさい)    文政10年2月4日〜明治25年11月13日(1827-1892)

    江戸末期明治期の儒家。本名、堤正勝。通称、十郎のち省三。字、威卿。号、静斎。父、豊後臼杵藩士堤正巳(4男)。豊後(大分県)出身。病弱であり弘化年間に広瀬淡窓に師事し文学を修める。嘉永年間に入り江戸で安積艮斎(あさかごんさい)に師事、また昌平校に入る。以降、元治元年(1864)幕府徒目付となり、幕末の朝幕の戦いに巻き込まれ、大坂に出陣し薩長軍と戦い敗北。江戸に帰り普請組となる。大政奉還で諸省を転歴。明治11年(1878)「知新学舎」を開設し、傍ら著作に打ち込む。なお、2人の少女が苦闘の末狼を仕留めた話の記録を「二女斃狼」として漢文で残した。66歳。著書:詩集「皆山閣誌鈔」。

墓は、谷中霊園甲9号12側。正面「堤家之墓」。碑は、三島毅撰文。