内田正信(うちだまさのぶ)    慶長18年〜慶安4年4月20日(1613-1651)

    下野鹿沼初代藩主。小見川藩内田家初代。父、内田正世(二男)。名、権九郎。寛永7年(1630)第3代将軍徳川家光の近侍となる。寛永12年(1635)12月21日奥小姓。寛永13年(1636)6月4日に御手水番。寛永14年(1637)12月14日相模国内で1000石を加増。寛永15年(1638)従五位下信濃守となる。寛永16年(1639)11月10日下総名取郡や常陸鹿島郡などで8200石を加増され、合計1万石の大名となり、鹿沼藩主となる。同時に御小姓組番頭となった。慶安2年(1649年)8月11日下野国内で5000石を加増され、御側出頭となる。都賀郡鹿沼で家光の死に遭い、殉死した。39歳。

墓は、現龍院墓地。正面「理明院殿光徳徹宗大居士」。裏面「従五位下内田信濃守藤原朝臣正信」。