上 真節(うえさねたけ) 文政8年〜明治28年1月30日(1825-1895)
式部大怜人。本姓、狛。父、雅楽の大家の上近興。上近豊第6代の孫。京都府出身。天保5年(1834)左近衛将監。万延元年越後守。従四位下。維新時、雅楽など顧みられず多くは失職する中、固く世業を守り、雅楽局を再興する。これにより、太政官に属し、楽統を絶やすことなく続けて来られた功績がある。明治3年(1970)太政官雅楽局に入る。明治5年(1872)式部大伶人。京都雅楽局出張所に出仕。明治6年(1873)東京に出て雅楽局曲譜選定を行い、改訂後帰任。明治7年(1874)式部権中属。明治10年(1877)東京に赴任し、皇居の雅楽を掌る。明治11年(1878)1等大伶人。71歳。妻は、瀧弁子(1830-1893)。子に、旧右将曹従七位上真行がいる。
墓は、谷中霊園 甲4号5側。正面「澂心院江月松風居士/慈法院演誉弁負大姉」。